NEWS & BLOG

みなさんは疲労困憊すること、どのくらいありますか?

ここ最近「肩こりから遠ざかっていました」が
ものすごく凝りだしました。
寒いせいもありますが、確実にパソコンのせいですね💦
ずっと机の前に座っている気がします。

毎日の暮らしの中で、
つつがなく平和・平凡ということのほうが少なくて
むしろ
小さなことや大きなことが降りかかる。

すぐに解決できるものから、
時間を費やしても直らないものや
自分の力ではどうにもならないものも。

昔、幼い頃、
お正月に集まった親族に花札好きの人が数名いて
母然り。正月の本家には7,8人の花札族が出没しました。

子ども達は20人ほど集まるので、
もうそれだけで楽しくて楽しくて。
あの頃の親たちが、ほかに何をしていたか分かりません。

今になって、
本家の奥さんは食事が大変だっだだろうなとか
亡き祖父の「あーうるさい!頭がガンガンするんじゃ💢
外で遊べ!」なんていうことも理解できます。

そして何より、花札。
目を覚まして居間に行くと、”花札族”がまだ競っていて
○○が○○負けただの、○○は一人勝ちだのと
薬の処方箋の裏。書き込んだ成績表を見ては騒動していました。

ある年。
叔父叔母の姉弟喧嘩が勃発して、
「それなら要らんわ!」と逆上した誰かが
灰皿の上で1万円札を燃やしたことを、子どもながらに
子ども達は驚いて、逃げ込んだ広間は静寂に包まれたことが
ありました。
それが花札の話なのか、別の話なのかは分かりませんが
9割9分は楽しげな大人達に囲まれていたよき時代。
懐かしく、ちょっと切なく思い出されます。

さて。

そんな”半札族”の一人であった亡き母が
パチン!手札を捨ててから、口惜しそうに
よく、こう言っていました。

「仕方ないなあ。一人でしてるんじゃないからなあ。」

一人でしてるんじゃない。
何気ない母の捨て台詞でしたが
今になって、まるで格言のように
私を刺してきます。

一人で花札をしていれば、思い通りにもなって勝つけれど
そこに他者がいる。
どうにもならない、他者との駆け引きで負けたり、勝ったり。

no use.
日本語でなんていうの?

・どうしようもない?
・考えるだけ無駄?

でも。
「人生は一筆書き(by秋元康)」
どの出来事も、その先の未来に向かっている。
失敗もなければ、無駄もない。

no no use.

どうしようもなく、もないよ。

でもさ、せめて
切れない1本の線の先が、先細りした糸や
枝分かれして絡まって終了、じゃないものであってほしいな。
ト音記号みたいに、丸くなってキュッ🎼

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。