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母が亡くなる前 まだモルヒネが少量で

僅かに会話ができた頃

家に帰りたいと 言われたことがあった。

父も私も口を噤んだ。

母が動かせないほどの状態にあったからではなく、

もうすでに 竹田の家では

自宅葬に向けた準備が 着々と行われていたからだ。

母の部屋は 母の安置室になるために

近しい親族によって 1組の布団以外のすべてが撤去され始めていた。

その少し前

ひとり ”遺品”を整理しながら 思ったことがある。

亡くなるとき 人は何も持っていけない。

彼女の 何が大切で どれが好きだったのか 途方にくれた。

宝石箱のアクセリーの どれが本物で どれが土産品なのか

父が探していた土地の登記簿や通帳を探し

母の4人の姉妹がくれた 使いもしない大量のブラジャーを廃棄しながら

”私はこうはなるまい”と固く誓った。

変人だと言われるが、そんなことから準備が始まった 私の遺品箱

DSC_1629中段がそれ。

愛読書1冊と所有しているカード類のコピー、CD1枚

私の母子手帳、写真が数枚、意思を記したノート

あと・・・

何が入ってるか忘れた(;’∀’)

 

 

病院から運び出した 母の遺体は 驚くほど むくんで重く

後部座席で 私と弟を押しつぶした。

実家は見違えるほど整然とした葬祭場になっていて

非情な現実を目の当たりにした。

何もない 自分の部屋の北枕に 運ばれた母は眠る

文句ひとつ言わず 念願の自分の家に やっと

ただし ゲストとなって 戻ってきた

 

もうすぐ盆がくる。

故人を思い出すのだろうか。こんなことを書くなんて

母が白血病で亡くなってから 18回目の盆。

 

 

 

 

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