初代 千利休の教え 「和敬清寂」について
裏千家 今日庵業躰の中島宗基氏に教えていただきました。
後半、亭主と2名の客に対してお茶をたてるお点前を見ながら
いたく後悔(-_-;)
なんと言ったらいいのか・・まるで
小さな針孔から覗いたら
推し測っていた箱の大きさが まるで見当違いで
「しまった・・・」という感じ💧
後悔の2文字と しきりに浮かぶ ”4文字”
静寂・緊張 静寂・緊張 静寂・緊張
聞こえるのは 湯の湧く音と すり足の畳の音だけ
見つめ殺されるほどの視線の中で 震えもせず
平常心で茶をたてられるようになるまで 一体どのくらいかかるのだろう?
とか
隣の人の茶を飲む喉の音まで聞こえる静寂の中で
茶を楽しめる人など いるのだろうか?
とか
そんな邪推ばかり😵
それでも、
学んだことの一つ。
静寂に気づくことは 雑多な日常に気づくこと
緊張が教えてくれたのは 自律
削ぎ落された状態で 見えてくるのは 他者と自己。
それで ふと 変な確信。
千利休の時代の人々も 同じだったのでは?
時は戦国時代 争いの中にある静寂に 平静心を取り戻し、自律し、確かめる。
どうあるべきか
どうありたいか
そんな時間を持つために 茶の湯を尊んだ・・
そんなことも考えていました。
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